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モラエス翁胸像 * シムの記念碑から10mほど東に、昭和39年(1964)12月に、県、市、商工会議所、ポルトガル外務大臣、神戸史談会、その他の有志によって建てられたモラエス胸像がある。 胸像下の碑文はポルトガル語である。前面の平面状の真鍮板碑下段に日本語で刻まれている。 *モラエスの【解説文】 ウェンセスラオ・デ・モラエス(1854〜1929)はポルトガルの元軍人、文豪である。 明治22年(1889)35歳のとき、私用で初めて神戸の地を踏んだ。 その後、二度日本を訪れ日本の美しさに心をひかれた。 海軍中佐になってから日本移住を決心し、本国からの帰国命令に反して、明治31年から神戸に住むようになった。 同年11月、友人のすすめで大阪、神戸のポルトガル領事館につとめ、のちに副領事となる。 明治33年(1900)11月、福本ヨネと結婚し、山本通2丁目、加納町2丁目などに住んで、日本風の生活を身につけた。 大正元年(1912)8月ヨネが死に、彼女のことを忘れ得ず、公職(神戸総領事兼イタリア領事)を退いて大正2年、ヨネのふるさと徳島に移り住んだ。 その後、ヨネの姪コハルと結婚したが、コハルにも先立たれ、徳島市伊賀町で、独居生活をつづける。 75才のとき土間から落ちて重傷を負い逝去した。 著書には「極東遊記」「日本夜話」「日本支那風物誌」「日本精神」「おヨネとコハル」など二十数編がある。