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猩々池(しょうじょういけ) * 「市バス諏訪山公園」から、大師道へ入ると、2kmほど登ると「猩々池(しょうじょういけ)」がある。 この池は、文政元年(1818)、麓の村々の早害を救うために、花隈村の庄屋が完成させたものである。 池の一番奥の道路から少し離れた山の斜面に、説明板と石碑が建っている。 この猩々池から、再度山頂までが多々部城の中心であったという。(城跡は、猩々池から200mほど上手にあったという)。 再度(多々部)城は、赤松則村(のりむら。入道して、円心と称す)が、丹生庄(北区山田)の南朝勢力に対抗するために築いた。 この城は、東は滝山城、西は鍋蓋(なべぶた)山におよぶ大規模なものであったと推定されている。 猩々池(しょうじょういけ)石碑 *説明板 猩々池(別名鯛池) 文化十三年(一八一七年)村上五郎兵衛、橋本藤左衛門によって下流の花隈村など四つの村に水を送るためつくられた池で、この池の完成を祝い池を管理する代官を招き「猩々(しょうじょう)」の曲を揺ったことからその名が出たものです. 当時の池の大きさは深さ八丈(二四メートル)南北六五間(一一七メートル)東西三八間(六八メートルあったといわれています。) 大正三年(一九一四年)には、面積三反八畝(一〇〇〇平方メートル)あったといわれていますが、現在はほとんど埋っています。 神戸市