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猿のかけ橋(この奥に滝山城跡への山道がある) * 貯水池からバックして、「猿のこしかけ」橋を渡り滝山城址に向かう。 急斜面の尾根道は足場がたいへん悪い。 注意しながら約20分かけて登ると城山頂上(323m)に出る。 市街地が望める見晴らし台に「滝山城址」碑がある。 滝山城の築かれた年代は明らかでないが、赤松円心が、1333(元弘3・正慶2)年の護良親王の令旨を奉じて、この城にこもったという。 戦国末になると、滝山城は、松永久秀(1510−77)の支配下に入る。 久秀は、主君である三好長慶の実権を奪い、大和を中心に支配した人物である。 1565(永祓8)年には、足利13代将軍義輝を殺すなど、典型的な下剋上の武将であった。 天正5年(1577)、信長の配下に降ったものの三度も信長に叛き、信貴山で焼死した。 ところで、久秀配下の滝山城は、永線9年(1566)、彼の留守中、三好勢に攻められて落城し、三好方のものとなる。 永禄11年(1568)になると織田信長が摂津に進んで、滝山城に迫ろうとした。 三好勢は、信長強しとみて、城を捨て淡路へ逃げた。 この後、滝山城は、信長により、摂津守に任ぜられた荒木村重の配下に入る。 やがて、その村重が信長に背く。 天正7年(1579)、信長は、村重方が守る花熊(隈)城と滝山城を攻めて、これを落城させた。 滝山城は、急峻な地形を巧みに利用した山城だったが、上流から溝を築いて水を導いて汲み上げていたため、水を断たれると弱かった。 幾度も城主が替わった城跡である。