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生田神社
*JR「三ノ宮」駅を北西に徒歩3分ほどで、初詣や生田祭りで賑わいを見せる「生田神社」(式内社=延喜式という法律に記載のある神社)の前に出る。

この神社の由来は、「日本書紀」によると、神功皇后が、大阪の住吉大社、西宮の広田神社、神戸の長田神社とともに奉斎されたものであるという。

生田神社の祭神は、椎日女尊(わかひるめのみこと)で、伊勢神宮に祭られている天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)の和魂(にぎみたま=お若い頃のお姿)とも、妹神だともいわれる。

旱魃(かんばつ)・疫病などの災害の時には、朝廷から使いがあり、祈願がなされた。

大同元年(806)には、朝廷より神戸(かんべ)44戸を賜った。神戸とは、神社に租・庸・調を納め、神社関係の比較的軽い労役に従う民家のことである。

この神戸(かんべ)が、神戸(こうべ)の地名の発祥であると考えられている。

生田神社境内には、樟(くす)の木で覆われた「生田の森」がある。

昔は旧生田川付近まで広がる大きな森であったという。

昭和20年(1945)の神戸大空襲で、社殿も森も戦災に遭ったが、戦後に再建され、森も少し復活している。

この社や森は、平安時代からの名勝で、清少納言の「枕草子」でも「もり杜は布留の杜。

「生田の杜」と著されており、また 秋かぜに又こそとはめ津の国の生田の森の春のあけぼの(順徳院)のような歌も詠まれ、都の貴族が多く訪れた。

さらに、この地は幾度かの合戦の舞台になった。

寿永2年(1183)の源平合戦では、「生田の森」が、平知盛(とももり)を総大将にして、平家の主力陣地になり、源氏軍はのりより範頼を総大将に、これに攻撃をかけた。

延元元年(1336)の湊川合戦の際は、新田義貞が、ここで足利軍を迎えた。

天正8年(1580)の花熊合戦には、池田信輝の軍は諏訪山、生田の森、大倉山を拠点にして、三面から毛利氏の出先・荒木志摩守(村重の弟)の率いる花熊城を4カ月かけて落城させた。

「生田の森」は、神戸の海と山を押さえる、平地における軍事的な要衝地でもあった。

開港にともない、この神社付近を核にして、神戸の中心地として栄えていくのも、古来から地理的にすぐれた条件を備えていたからである。

平成7年(1995)1月17日の大震災で、本殿前の拝殿が完全に崩壊したが、その後、復旧作業が急ピッチで進められて、朱色も鮮やかな拝殿が再建され、賑わいを取り戻した。

*生田神社あれこれ

松樹のない神社
当初は、海上から目印になる砂山(いさごやま・布引滝近辺)に祀られていたが、大洪水で砂山の麓が崩壊したため、刀根七太夫が御神体を背負い、現在地に移したという。

生田神社境内には松は一本もなく、ほとんど樟である。

これは、元の社地(砂山)が、倒壊した松の木により壊れた故事により、松を忌み、正月には門松の代わりに杉盛りを楼門に立てる。

摂津の酒造発祥地
生田神社は、摂津における酒造の発祥とされる。

三韓の朝貢使などに供する神酒は、生田・長田・広田の3社および大和片岡神社から各50束を生田神社で神使が酒を醸し、汝売崎(みるめざき)(敏馬崎)で神酒を饗応した。

生田の馬場
神社の前から浜辺までが馬場先で、その両側には桜並木と石燈籠を配した。

俗謡に「梅は岡本、桜は生田、松のよいのは湊川」「ババじやパパじやといわんすけれど、生田のババには花が咲く」と唄われた桜の名所であった。

馬場崎の浜辺は「御前(みまえ)の浜」といい、石鳥居と高燈籠があり、この沖を通る船は帆を下げ、敬意を表したという。

えびらの梅
梶原景季(かげすえ)が、梅の枝を箙(えびら=矢を入れて背に負う道具)にさし添え、奮戦して風流武士の名を残したという。

梶原の井
梶原景季(かげすえ)が、井戸の前で、神に武運を祈って和歌を捧げた。

又、箙の梅井は、自分の姿を映した井戸という。

けふもまた 生田の神の 恵みいや ふたたび匂ふ 杜の梅か香

弁慶の竹
武蔵坊弁慶が、御代拝として箙の墨附を捧げ、参向の際に奉納したものという。

神功皇后の竹
皇后が、鈎を垂れて戦いの成否を卜をされたという話に基づいて、植えられたもの。

敦盛の萩
敦盛の遺児が、父の墳墓を尋ねる途中に当社に詣でて休息したという所。謡曲「生田敦盛」に出てくる。

生田神社の裔宮(えいぐう)
神戸には、一から八の数字のつく神社がある。

この八社は、生田神社の裔宮(つながりのある神社)であると考えられている。

それらの神社を中心に、一宮・二宮・三宮・四宮・五宮・七宮の集落が開けている。六宮と八宮は楠町2丁目(大倉山の南)に合祀されている。

 
 
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